礼拝のご案内
ようこそ西条ルーテル教会へ
牧師からのメッセージ「わたしたちの物差しと、神さまの物差し」
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」
(マタイによる福音書11章28~29節)
わたしたちは生活の中で、しばしばくたびれ果てます。
自分の力量以上の責任を負ったり、理不尽な思いをします。
イエスさまは語られました。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
休ませてあげよう」。
わたしたちがつらくなるときは多分、自分を追い込んでしまうのでしょう。
あるいは相手の不親切や無配慮が気になって、悔しくてそこから抜け出せないのでしょう。
聖書のことばは、わたしたちの視線をもっと広いところに向けさせます。
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。」
(詩編121編1~2節)
イエスさまは、わたしたちの疲れの原因を問われません。
ただ「休ませてあげよう」。
イエスさまのもとに行くならばわたしたちは疲れた身も心も癒されて、もう一度立ち上がる力をいただけます。
それが教会の礼拝です。
わたしたちは「イエスさまの軛(くびき)を負いなさい」と招かれています。
生活の中で「軛」を見る機会はほとんどありません。
二頭の牛を並べて木の棒を首にわたして綱で結び、二頭一緒に歩かせて、畑を耕す道具です。
「軛」は運動会の二人三脚が近いです。
体格や運動能力が似た二人が組まれます。
お互いの片足をしっかり結び、肩を組んで声をかけながら配慮しあって進みます。
どちらかが打ち合わせと違うスピードを出したとたんにころびます。
「軛」も同じです。軛にかける家畜は牛と牛、ロバとロバという同じ体格で組み合わせます。
イエスさまが「イエスさまの軛を負いなさい」と語られたことは破格な出来事です。
イエスさまとわたしたちは、あまりにも違いすぎます。
にもかかわらず、イエスさまは人々と一緒に軛につながってくださいました。
軛につながってくださったゆえに、人々の不信仰によってイエスさまは十字架へと進まれました。
十字架の上で死んでくださったイエスさまを神さまは復活させてくださいました。
他の軛につながっていたわたしたちは、イエスさまの軛に付け替えます。
イエスさまがわたしたちに歩調を合わせてくださいます。
少し休んでまた、イエスさまと一緒に進みます。
イエスさまはわたしたちと二人三脚でつながってくださいます。
毎週日曜日の礼拝で、ご一緒に聖書のことばに耳を傾けてまいりましょう。
神さまの物差しは、わたしたちの思いをはるかに超えます。
慰めをいただき、生きる力をいただいてまいりましょう。